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トンイは実在する登場人物?史実(歴史上)との違いや死因を調査!

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『トンイ』といえば、『宮廷女官チャングムの誓い』や『イ・サン』でおなじみのイ・ビョンフン監督による歴史ドラマ。

日本でテレビ放映された事もあり、主演のハン・ヒョジュを一躍有名にした作品ですよね。

その『トンイ』ですが、実在する登場人物だったのでしょうか?

また、実在する登場人物だった場合、史実との違いはあるのか気になりませんか?

今回は『トンイ』は歴史上に実在したのか、史実との違いについて調べてみたいと思います。

トンイが歴史上どういう立場だったのか、またその死因についても、調べてみると驚きの事実が!

ドラマでは詳しく描かれなかった死因についてもお届けしてゆくつもりなので、最後までぜひお読み下さい。

ぴよ吉
トンイの秘密が明らかに・・?

 

目次

トンイは実在する登場人物?

賎民から王様の側室にまで登りつめるトンイの生涯。

全60話となかなかのボリュームで、見始めはいつ終わるのか、と心配になる長さですが・・。

毎回ハプニングの連続で続きが気になって、あっという間に見終わってしまった!という声も。

演じるハン・ヒョジュの気品溢れるたくましさに、多くの視聴者が魅了されましたよね!

果たして波乱万丈なトンイの生涯は、どこからどこまでが本物なのでしょうか?

今回は気になるトンイの出自から、意外なる死因まで探っていきたいと思います。

ぴよ吉
たくましいトンイに、元気もらったな〜

 

トンイのモデルは淑嬪崔氏(スクピンチェシ)!


『トンイ』にはモデルとなった人物が居ました!

その名は淑嬪崔氏(スクピンチェシ)

と言っても淑嬪(スクピン)は当時の位、階級の名前で、崔氏(チェシ)が名字なので、名前までははっきりわからない人物だそうです・・。

題名にもなった『トンイ』という名前はイ・ビョンフン監督と脚本家のアイデアによって付けられた架空の名前だとか。

その他の設定もドラマオリジナルのフィクションが多いという事がわかりました!

トンイの息子である英祖(ヨンジョ)や、悪女として名高い張禧嬪(チャンヒビン)は韓国では何度も映像化されている有名な人物です。

ですが、淑嬪崔氏については当時の書物にも記述が少なく、『トンイ』が初めて主演としてスポットライトが当たった作品と言えますね。

ぴよ吉
名君・英祖の母だけど、今まで主役ではなかったんだね。

 

身分が低かったのは本当?

『トンイ』といえば、身分の低い立場ながらも、勇気ある行動で自分の道を切り拓き、宮中での立場を確立してゆくサクセスストーリーもみどころのひとつです。

ですが、最下層の人物が王様に見初められ、やがて側室となるなんて事が本当にあったのでしょうか?

残念ながら、通常王様が最下層の下働きと出会う機会はないので、これはドラマオリジナルのフィクションと言われています。

実際の淑嬪崔氏は、針房(チムバン)という宮中でも比較的身分の高い部署に所属しており、粛宗の正室・仁顕王妃つきの女官であったという説が有力です。

では、なぜ淑嬪崔氏は奴婢出身だという噂があったのでしょうか?

これについては、トンイの次の時代、淑嬪崔氏の息子である英祖を陥れる為の策略という説が出ています。

英祖に対立する派閥が、「母親が奴婢だから」という噂を流し、「英祖は王にふさわしくない」という言いがかりをつけてきたんですね。

ぴよ吉
権力闘争で生まれた噂だったのか!

 

トンイ・史実(歴史上)との違いや死因を調査!

歴史ドラマにのめり込むほど気になる史実との違い。

人気ドラマ『トンイ』も史実との違いを調べてみると、意外な事実が明らかになってきました!

モデルとなった人物・淑嬪崔氏の生涯や、その死因を調査してみると、さらに驚く事実がありました。

ここからはドラマ『トンイ』からは想像も出来ない、ショッキングな説を取り上げてみましょう。

まさかの説に『トンイ』ファンの方は衝撃を受けるかもしれませんので、ご注意を・・!

ぴよ吉
トンイのイメージが変わっちゃうかも・・?

 

トンイは実は悪女だった?

『トンイ』といえば、対立する南人派の張禧嬪(チャンヒビン)の暗躍も見ものです。

ドラマでは、正室である仁顕王妃が亡くなり、その後に張禧嬪が王妃を呪詛したという証拠が見つかり、処刑されます。

ところが、悪女として名高い張禧嬪を処刑に追いやったのは、実はトンイだったという説も!

歴史書によると、王様に「張禧嬪が王妃を呪詛した」と直訴したのはトンイ(=淑嬪崔氏)で、それも王妃の死後40日経ってからだというのです。

この死後40日というのが疑問の残る点で、実はこの40日間の間に淑嬪崔氏が証拠をでっちあげ、張禧嬪になすりつけたのでは?という説が囁かれています・・。

ぴよ吉
え!トンイがそんな事を?信じられない・・!

病弱だった王妃が亡くなれば、すでに息子を産んでいた張禧嬪は次期王妃候補となるのですが、そもそも病弱な王妃をわざわざ呪い殺す必要があったのだろうか?との疑問が。

むしろ「張禧嬪が王妃を呪詛していた」という証拠が見つかれば得をするのは、同じく息子を産んでいた淑嬪崔氏の方では?と言われています。

張禧嬪を主役にした別のドラマ『チャン・オクチョン』では、悪女として活躍する淑嬪崔氏が描かれていますよ!

ぴよ吉
主役のチャン・オクチョンをキムテヒ、淑嬪崔氏を元KARAのスンヨンが演じているよ〜!

 

晩年は王様から嫌われたのちに病死?

さてさて、悪女説まで飛び出したトンイの生涯ですが…。

ドラマでは晩年貧しい民に尽くす為、宮中を離れ別邸にて暮らす事になります。

史実ではどうでしょう?

仁顕王妃が死去した年に張禧嬪が死罪となりますが、淑嬪崔氏もその年に宮中を離れ、宮廷外の私邸、梨峴宮に居を移します。

その後粛宗に命じられ、梨峴宮を出て、息子である延礽君(=のちの英祖)の私邸で息子と共に生活する事に。

暮らし始めてから数年後、病気がちとなり、やがて延礽君の私邸にて病死しました(享年49歳)。

宮中を離れてからの淑嬪崔氏を、粛宗が訪ねる事はなかったそうです・・。

その理由として考えられるのが、粛宗には他にも䄙嬪朴氏(ミョンビンパクシ)という側室がおり、晩年は淑嬪崔氏よりもその側室を寵愛していたのでは?との事。

ぴよ吉
え!トンイよりも好きな人が居たの!?

䄙嬪朴氏にも息子・延齢君が生まれ、粛宗は大変可愛がっていたそうです。

この息子・延齢君は残念ながら20歳の時に亡くなり、粛宗はたいそう悲しんだとか。

粛宗も延齢君の死の翌年に亡くなっています。

どうやら張禧嬪が仁顕王妃を呪い殺したと淑嬪崔氏が直訴した辺りから、粛宗の気持ちは淑嬪崔氏から離れていったという見方が有力です。

ぴよ吉
そ、そんな・・!!
ここ吉
色々と策略を感じて粛宗も愛想を尽かしちゃったのかな・・?

 

まとめ

『トンイ』について、実在のモデルとされている淑嬪崔氏との共通点、歴史上の史実との違いについてお届けしてきましたが、いかがだったでしょうか?

明るく溌剌としたトンイが、歴史上の史実に基づくと悪女説も出てきているなんて、驚きでしたよね?

死因についても、ドラマとは違い寂しげな晩年となっていたのが少し悲しいです・・。

歴史書での記述はごくわずかで、死因を含め、まだまだ謎の多い人物と言われている淑嬪崔氏。

『トンイ』の時代の登場人物が出てくるドラマは他にも多数あり、その度に違った解釈がされています。

実在する登場人物についての説をふまえつつ、韓国歴史ドラマを楽しんで頂ければ幸いです!

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