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王になった男は実在?光海君とクァンヘグン王妃は史実上の実話モデルか解説!

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『王になった男』は史実上の実話とフィクションを織り交ぜて作られた時代劇ドラマ。

朝鮮時代の王・光海君(クァンヘグン)が統治していた時代の実話を基に王イ・ホンを架空の人物としてストーリーが繰り広げられ、王妃との恋模様も描く、笑いあり、涙あり、感動ありの作品です。

1392年から続いた李氏朝鮮時代の中で、15代王・光海君(クァンヘグン)が在位期間中の空白の期間があることが史実として明らかになっています。

ドラマでは、その空白期間は王イ・ホソンによく似た道化師のハソンが、宮中を脅かす人物から匿うため王の代わりの影武者となり政務を執るというフィクションストーリー。

『王になった男』で描かれているドラマの内容と史実上実在した光海君(クァンヘグン)や王妃について徹底解析します!

 

目次

『王になった男』は実在orフィクション?


『王になった男』はフィクション時代劇ドラマです。

ただし、朝鮮時代に実在した光海君(クァンヘグン)の生涯をモチーフに制作されたもの。

このドラマでは王イ・ホンが主人公として話が進んでいきます。

王イ・ホンの前に立ちはだかる宮廷内の陰謀や策略、そして宮廷内へ入ることとなった王と瓜二つの影武者ハソンへ好意を抱く王妃との関係は果たして…。

まずは、『王になった男』に含まれる実話部分とフィクション部分を詳しくご紹介します!

 

王「イ・ホン」は実在した人物?

このドラマでは王イ・ホンは架空の人物として、朝鮮王朝第15代王の光海君(クァンヘグン)実話を基に描かれています。

14代王宣祖(ソンジョ)と正妻の懿仁(ウィイン)王后の間には子供がおらず、側室が生んだ光海君(クァンヘグン)が後継者へ。

1592年に14代王の宣祖(ソンジョ)が統率した朝鮮時代に勃発した、壬辰倭乱・丁酉倭乱(豊臣秀吉が企てた朝鮮への侵略戦争)のため国全体の情勢が徐々に不安定になっていきます。

宣祖(ソンジェ)が戦さを途中放棄したため、光海君(クァンヘグン)が豊臣軍の侵略を防ぎ、また混乱を避けることができたとして大きな功績を挙げ、王位へ即位しました。

しかし、兄弟たちとの権力闘争に巻き込まれていき、王位を脅かす存在だとして実の兄の臨海君(イメグン)や亡くなった懿仁(ウィイン)王后の次に即位した王妃との子である永昌大君(ヨンチャンデグン)を次々と処していったのです。

光海君(クァンヘグン)はとても冷酷で暴君だったとして史実上に残されていますが、彼には優れた指導力やリーダーの資質があり、あらゆる施策において内政を活性化させる等、大きな功績を残したことを忘れてはいけません!

最後は、仁祖反正(インジョバンジョン)というクーデターにより、光海君(クァンヘグン)を廃位させられ、1641年、66歳で帰らぬ人へとなりましたー。

ぴよ吉
実話を基に作られたドラマだったんだね!
ここ吉
いろんな視点から楽しめそうだね〜!

 

王の影武者となったハソンの物語はフィクション!

道化師として全国を放浪していたハソン。

宴会場で王の立ち居振る舞いや声などを面白可笑しく真似しながら演じる姿を側近の都承旨(トスンジ)がたまたま見かけ、王の影武者ををさせるべく宮廷へ来るよう命じました。

そこでハソンは、王が休みたい時の代わりや、政務などをこなして行くうちに、政治の在り方などに疑問を抱き、民衆の幸せを切に考え、世の中を変えたいという願望が出てくる…。

今までの王とはどこか違う影武者のハソンに対し好意を抱く王妃、本物の王と影武者の間で心が揺れ動く王妃ー。

ラブロマンスがたっぷりなところも、このドラマの見所の一つですね。

これらの内容は全て、フィクションの物語となっています。

史実では存在しないハソンですが、ドラマでは必要不可欠な存在で、視聴者を笑いと感動に引き込んでくれる魅力があります。

実話とフィクションが融合した世界による感動とロマンスを堪能してみては!?

 

『王になった男』光海君とクァンヘグン王妃は史実上にどう存在した?

光海君(クァンヘグン)は史実上1608年に李氏朝鮮15代王に即位しましたが、暴君だったとして廃位されることになりました。

しかし、彼は在位中に戦時中の兵隊らを労い、民衆への気遣いも忘れず様々な功績を残しまてきました。

例えば、身分や戸籍を証明できる制度を整え、大同法という納税制度については裕福な人からはたくさんもらい、貧しい人は免除するなど柔軟に対応するなど内政を活発化させたのです。

このように、実の兄や異母弟を罪に問うなど暴君だったとは言え、決して悪事ばかりしていた人物ではなかったことが伺えます。

歴史の研究が進んでいくにつれ、政治的業績が高く評価されるようになってきました。

一方、王妃は1587年の11歳の頃に光海君(ファンヘグン)の妻として文城郡(ムンソングン)夫人という称号が授けられ、1608年に王妃柳氏となるも、次第にわがまま王妃に豹変。

彼女の弟たちも重臣として選ばれ、宮廷内を歪め権力を握ることにー。

1623年には、政権から疎外されていた派閥のクーデター軍のこじつけにより光海君(ファンヘグン)は廃位させられ、王妃は文城郡(ムンソングン)夫人へと名を戻し息子夫婦と共に江華島(カンファド)へ島流しされてしまいます。

果たして、暴君と呼ばれ光海君(クァンヘグン)が廃位させられたクーデターは公正なものだったのでしょうか。

 

光海君は外交が得意な名君だった!

王になった男 実話 フィクション 光海君 王妃 史実上出典元:タイショーの朝鮮王朝史

光海君(クァンヘグン)は巧みな外交戦術において優秀で、今ではとても高く評価されています。

彼の統治時代、中国大陸で明と後金(のちの清)との争いが激化していました。

明は豊臣軍が朝鮮を攻めてきたときに援軍を派遣してくれた恩があり、明からも応援を頼まれたも、明から後金へと国勢の状況が変わりつつあるため、どちらにつくとも難しく中立の立場を保っていました。

そこで光海君(クァンヘグン)は、明と後金どちらが勝ってもいいように上手く立ち回り、結果は功を奏し、在位中は安泰だったのです。

光海君(クァンヘグン)を廃位させた後の政権は、後金に逆らい攻撃された上に屈服というありさまー。

新政権は決して上手な外交ではなく国を衰退させたことからも、いかに光海君(クァンヘグン)が優秀で巧みな外交の指揮者だったかが伺い知ることができますね。

ぴよ吉
光海君は賢い外交技術を持っていたんだね〜!
ぽめ吉
その他にも、いろんな政策をしたみたいだね!

 

史実ではクーデターで失脚・流刑となった王一家

王になった男 実話 フィクション 光海君 王妃 史実上出典元:korepo

1623年に王政権から疎外されていた派閥のクーデター軍により息子夫婦を含む王一家は江華島(カンファド)へ島流しされてしまいました。

その罪流の理由とは実の兄や異母弟を殺したことや、明を欺き後金と交渉を行ったこと、工事による民衆の負担、継母の仁穆王后(じんぼくおうこう)を監禁したことなどが挙げられます。

当時では近親者を処することは多々ありましたし、中立外交は成功に終わったはずです。

さらには、豊臣軍により荒らされた国土の復興や、宮廷内の再建などに尽力し、内政面では納税制度の民衆に対する負担軽減を図るなど、誰よりも民衆全ての幸せを願っていました。

しかしながら、追放した理由を正当化するため新政権の王は光海君(クァンヘグン)を徹底的に陥れ、悪者へと吊るし上げました。

それが、今でも冷酷で暴君な王として史実上残されている所以ではないでしょうか。

新政権よりこのような言いがかりをつけられ、失脚・流刑となった光海君(クァンヘグン)と文城郡(ムンソングン)夫人、その息子夫婦たちは江華島(カンファド)へ流されます。

文城郡(ムンソングン)夫人は光海君(クァンヘグン)に対しこの世への償いとして共に自決しようと言うも、光海君(クァンヘグン)は生きる道を選択します。

息子夫婦は島からの脱出を企てるも失敗しすぐに捕らえられ、自らの命を絶ち、その悲報を聞いた文城郡(ムンソングン)夫人も自らの首を締めて後を追ったのです。

その後の1641年、66歳に光海君(クァンヘグン)はこの世を去りました。

以上が、史実として記されている悲しみに包まれた王一家の最期なのです。

 

まとめ

皆さん『王になった男』について、いかがでしたか?

様々な視点からこの作品について触れてきましたが、光海君(クァンヘグン)の実話に基づいて作られたフィクションドラマ『王になった男』をご紹介しました。

史実上存在する光海君(クァンヘグン)と王妃について明かされている実話の部分と、史実上存在しない影武者のハソンを描くフィクション部分とを上手く組み合わせた作品となっています。

ドラマにおける王イ・ホンの前に立ちはだかる宮廷内の陰謀や策略、そして宮廷内へ入ることとなった王とそっくりな影武者ハソン、そして2人から好意を持たれる王妃ー。

果たして3人の関係はどうなる!?

見たことがある方はもう一度、もちろん見たことがない方も是非いろんな角度からドラマをお楽しみ下さい!

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